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身障者支援の歴史とエコの歴史

ビルメンテナンス情報
身障者支援の歴史とエコの歴史

著 木村光成 さん

 最近、ビルメン業務による身障者支援の論議が盛んである。
 しかし、ビルメンの歴史は、はじめから身障者をはじめとする弱者救済から出発している。この歴史を考えると、最近の論議が奇異に感じられる。ここで身障者支援の歴史を振り返ってみたい。
 まず、ビルメンのルーツといわれる鉄道弘済会と電気通信共済会は、ともに助け合いの精神、すなわち弱者救済が出発点である。
 駅舎清掃については、車両整備協会の広報誌『せいび』に2年間連載した。

 まず、現在の駅舎、駅中、駅ビル清掃の最大手、東日本環境アクセス(株)は、以前は弘済整備と呼ばれ、御徒町駅のガード下がルーツであった。
 その前をたどると、鉄道弘済会の農機部という組織がルーツと考えられる。
 終戦直後、国鉄の公共トイレの清掃を請け負っていたのが農機部であった。そこでは下肥を売る代わり、無料で清掃を行った。この流れは現在のエコ思想(再利用思想)そのものである(もちろん当時エコ思想は存在せず、生産性の低さと消費の低さが原因である)。これと同時に、車両清掃を請け負うことでガラス瓶などの回収を行い、清掃は無料であった。しかし、後に当然のことながら有料に移行した。
 また、鉄道弘済会は駅売りも行っていた。それらに従事する人たちは、母子家庭や身体障害者、海外からの引揚者などの弱者であった。さらに、鉄道弘済会は義手義足の製作も行っていた。当時、国鉄は車両入れ替えなどの作業内容から、人身事故が多かった。
 電気通信共済会も、母子家庭や退職者などの救済支援が目的であった。
 地方では就職先が限られるため、地方公共機関の清掃は、母子家庭などを優先して雇用を実施していた。
 こういった動きが最も盛んであったのが昭和30年代であり、特につやげんの会長が各県の県庁が新築されるたびに、母子会や身障者組織にワックスの使用法を教育して、県庁の清掃で母子家庭や身障者の優先雇用を推進した。写真はその一例である(注、写真にある西都は宮崎県の間違い)。

 その他の事例としては、岡山県の岡山愛染会は。慈悲の守護神である愛染明王からのネーミングである。清掃とエレベーター、受付など、県の40箇所の建物を請け負った。
 練馬身体障害者協会による、練馬区役所関連建物の清掃管理。北見市身障者協会による、北見市役所関連の清掃業務などもあるが、これらはごく一部に過ぎない。

 しかし、その後ビルの高層化とバブルの到来により、これらの大部分はビルメンに吸収され、また、本来の目的が忘れ去られ、退職者の受け皿から、関連官庁の天下り先となり、現在に至っている。
 最近の身障者支援が大きく取り挙げられているのは、身障者補助金の削減や、将来の老齢化とともに、厚生労働省の天下り先の確保が目的と考えられる。

 とにかく、清掃は本来、弱者救済と空き瓶便回収など、エコが出発点であった。ビルメン協会がキャンペーンするほど新しい考えではなく、原点に返る運動とも言える。
 現在、身障者対策は大きな曲がり角に来ている。ビルメン業界は、歴史を無視する傾向があるが、やはり歴史は転ばぬ先の杖であり、過去の事例を参考にして、よりよいシステムの構築を願うのみである。
 少なくとも、身障者やビルメン現場が利用されるだけのシステムは、避けてほしいものである。

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